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日本の装身具ハンドリングゼミ 大正・昭和初期の日本髪用簪・両天笄・根掛




東京行きの目的・・・

日本のジュエリー史のお勉強。

ジュエリー文化史研究会

テキスト?は、露木先生のこの本。

毎回テーマを決めて、そのテーマに沿った品々を見ながらお勉強したり、感想を言い合ったりするのです。

今までは、一人でコツコツ、中古市場を回って知見を積み重ねてきたつもりではあったのですが、

どうしても限界を感じていた頃に見つけた秘密のゼミ。(秘密ではないんですけどね。まぁ、誰でも参加できるというわけでもなさそうなので・・・)それが、福岡市から1000km離れた東京だろうと、関係ねぇ!どうしても知りたいことがあれば行くしかない(笑)

去年初参加で、何度目かの参加ですが・・・

見せていただく素晴らしい品々はもちろんすんごいのは当たり前なのですが、

ここに参加されている方々が皆さんケッコーすごい方々だったり、各自が専門分野を持っていたりで、そういった皆さんの品々を見ながら発するコメントが私の脳みそを刺激しまくるのです。

そして、露木先生が設けてくださったこの会を中心にこれから同時発生的に日本のジュエリー史を意識したムーブメントが起きるんじゃないかと妄想を膨らませてくれるのです。

先生の了解を得ましたので、ここでこの会の凄さの片鱗をお見せしましょう!

と、その前に、歴史的なジュエリーお好きな皆さん。鼻血が出ないようにお気をつけくださいね〜

ざっくりしたコメントを書かせてもらいますと、

明治は、具象、緻密、細密、たまに若干ゴテゴテ(申し訳ない)といった印象が強く、これはこれでと言いますか、本来明治の香りのあるものが好きなのですが、

明治の品々を見てきて、今回の大正、昭和初期の品々を見ますと、

アールデコの影響があるのか、

細かい表現をそぎ落としていったデザインの力を感じるのです。

これはこれで、実にいいですね。

量を見させてもらうことで、時代感覚というか、傾向のようなものが見えてきたような気がします。

個人的にツボだったのは、こちら。


この小さなお花の花びら、銀線をくるくるくるくるっと巻いて表現しています。

何故この可愛い表現手法をあまり見ないのかが気になりました。

ここに来る前に、並河靖之七宝展 で、七宝を見ていたので、そこもつぼだったかも・・・

もうひとつはこちら 

明らかに明治の緻密さとは違うデザインの力を感じます。

ちょうど、同じ日に庭園美術館へ行ってアールデコの影響を色濃く受けた建造物(旧朝香宮邸)に打ちのめされていたというのもあったのかもしれません・・・ 

庭園美術館 並河靖之七宝展

似たようなデザインのものはいろいろありましたが、個人的には↑にデザイン力を感じました。 

あとは、これですかねぇ・・・

透かしの作品が多い中、こちらはろう付けで作られています。

こちらも可愛かった。

メッキの歴史について

 

以下、気になったことをメモ的に・・・

少し見慣れた刻印がちらほらと・・・

おまけで、当時のデザイン画も見せていただいたのですが、短時間でさらっと見るには実に惜しい内容で、いつかじっくりと拝見したくなるようなデザインの数々・・・

立て向きの写真が全部横になってしまって少々見づらいものもあるかと思いますがご容赦ください。

 

日本の装身具史はまだ研究され尽くされていない部分も多いとのことです。

過去を知ることで現代をもっと理解できると思いますし、

過去の品々は、「古い」の一言では到底表現できない素晴らしい品が数々あります。

少しでも昔のジュエリー、装身具類に興味を持っていただける人が増えるとうれしいです。

 

 




2 thoughts on “日本の装身具ハンドリングゼミ 大正・昭和初期の日本髪用簪・両天笄・根掛”

  1. お久しぶりです、漣です。
    文化史研究会に行かれたのですね、それから旧浅香宮邸も。私も行きたいですが如何せん具合が・・・こちらでいろいろ御写真を拝見できてとても嬉しいです。
    私のツボは、やはり小さな金銀の銀杏がぐるりと取り囲んだデザインのK20のこうがい(漢字が出てきません)でしょうか・・・これ欲しい、笑。ところで、この銀色の部分ですが、先生はどのような技法かおっしゃっておられませんでしたでしょうか。私はプラチナを貼っているのだと思っていますが、艶がない銀色(なにか塗っている?)というのもあり、以前から不思議に思っています。
    あと、この手の簪類は、刻印が意外といい加減なものが多いので気をつけた方が無難です。
    この研究会にご出席の方々は、おそらくいくつかコレクションをされていると思いますので、それぞれがコレクションを披露する機会を取り入れてもいいかもしれませんね。

    • 漣様 コメントありがとうございます。
      今回、かなり品数が多く、どれも急いで見ていった感じで一つ一つの検討の時間が少なかったです。
      ご質問の笄は、そういう視点で見てませんでしたが、改めて見てみると表は2色なのに、裏側はYGですね。
      銀色部分は私の記憶では艶があったような気がしますが、
      現代であれば、YGの部分をマスキングして、ロジウムメッキをかけるのでしょうけれど(地の状態によって艶の有無は可能だと思います)、どうなんでしょうね?
      メッキの技術自体は奈良時代からあったようですので、ありえないってこともないのでしょうかね?
      当時、ロジウムメッキを行っていたかどうかは未確認ですが… 
      どういう技法でこれを作っているのだろうと、もうちょっと問題意識を持ちながら見ていればと反省です。
      またお気軽にお問い合わせください。

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