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宝は足元に




 

日本の中古ジュエリーをずーっと追いかけていって思うのは、

宝が手元にあるのに、それに気づかれていない方が多いという事。

評価する側してもらう側どちらも、その価値に気付かず、

貴金属の重量や、ダイヤモンド、宝石の価値としての材料代だけでしか見ていない場合も多い。

それ以外の価値に気付かれる方も少しずつ増えていっている感触はありますが・・・

 

自分たちの、お母さん、お祖母さん、曽祖母さんが持っていらしたジュエリー類を

使わないからとか、デザインが古いから

とかではなく、

誇りを持って所有し、受け継いでいってもらえるような、

そんな価値観がもっと育っていって欲しいと思う。

 

日本のジュエリーはヨーロッパのジュエリーに比べて…

というようなことをおっしゃる方もいますが、

ジュエリーにはその時代その時代の感性等が現れていますので、

時代丸ごとひっくるめて肯定してもらえるような・・・

 

 

千本透かしの時代のジュエリー達も、重厚肉厚腰高の唐草全盛時代のジュエリー達も、

長い歴史的な視点で俯瞰して見ると、

高価な貴金属類を一部の人ではなく、多くの人が持てた時代を表すものであり、

隆盛の象徴であったりもしますが、

現時点で客観視できなくても、もっと時間がたてば、

あの時代はすごかったんだ。

と、心底思える時代が来るように思います。

 

でも、その時には、その時代を象徴するようなジュエリー達は潰されて無くなっている・・・

みたいな。そういう状況にはなって欲しくありません。

 

ジュエリーは、場所も取りませんし、ちゃんとした貴金属であれば腐食しませんし、

タイムカプセル的に置いておく

というのも一つの手だと思います。

 

慌てて売らなくても、良いと思います。

だからと言って、無くなる~ と、焦って買わなくてもいいとも思います。

そんな感じでしょうか?

 

とか言ってると、何にも商売にならんよね。

とか、突っ込むもう一人の自分もいるのですが・・・

 




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